2011

2011.12.31

ほとんど更新できなかった2011年のダイアリーをピンポイントで振り返ります。

IMG_4314.JPGクラカウのDistant Worlds●旧共産圏
5/20。クラカウが幸運だったのはDistant Worldsがフィルムミュージックフェスティバルの一環であったということも大きかったです。旧ソ連による巨大工場を改造したコンサートホールは圧巻で、旧共産圏趣味の私としてはもう興奮ものでした。坂口博信さんも数あるDWからポーランドはまたとない機会ということでいらっしゃったようですが、FF the Movieのトレーラー曲制作のとき以来でした^^

●IMERUAT
私の個人プロジェクトである「IMERUAT」のファーストライブも音楽祭の一演目として開催。DWが終了してグッタリ…のはずのその夜24時からでした。それでも客席は満員、大成功を収めることができ、主催者にも喜んでもらえて本当に光栄でした。
→ライブの写真

5749705475_df7182e021_b.jpgDW指揮者のアーニーとトークセッション●また
翌日。午前中はお客さんを入れての野外でのアーニーさんとインタビューのイベント。しかしパリへの飛行機が午後の便で、半ば途中退席のような形で会場を後にしました。後ろ髪引かれる思いで…名残惜しかったです。また来たい街でした。マリウシュ、ルチャン、バーバラ、皆さんありがとうございました!(数日後、また経由でクラカウ空港に立ち寄るのですが)
→イベントの写真

●ソロコンサート
5/22。チケットは発売10分で全席完売、追加公演も3時間で完売というパリのソロコンサート。ビサイドやヴァニラのVl+Pf、SF2の初演など、周囲に「日本のファン激怒じゃないですか」と言われるような演目でした(笑)。リヨンの若いアーティストたち、そして和洋レコーズの若いスタッフたちが全力でステージを作り上げてくれました。2公演とも大成功で、スタンディングオベーションに感動。パリのみなさんありがとうございました!

●インタビュー
コンサートの翌日、2件インタビューがあると聞いていたのですが、一件目は何故かケーブルテレビの司会をやることに!しかも建物に入るまで、全く知らされておらず(笑)。CGのバックと合成のもので、ゲストと絡む訳ではありませんが、Minaと掛け合いで全テイク一発OK。「Minaの想い出のゲームはなんなんだい?」みたいな、まるでコントをやってるような感覚でした。ものの20分程度でスタジオを後にしましたが、あまりに唐突だったおかげで緊張してる暇もありませんでした。そして二件目のインタビューはすぐ近くのカフェで。こちらもまたこれまでにないくらいよくまとまった話ができたので、忘れないようにしたいです。
→インタビュー

●イメルアライブ
5/24。パリでもイメルアのライブをしました。Le fleurusというバーコンサートパブレストランです。こちらでは7曲を演奏。終了後もずっと盛り上がっておりました。お客さんが大方帰った後は、クルド人の血を引いているというオーナーとまた長く話しておりました。

●Wayoレコーズ
コンサートを主催、仕切ってくれたWayoの面々はそれはもう誠実な若者ばかりでした。Wayoの未来に幸多からんことを!
→http://wayorecords.net

●地下道
パリの某駅の地下道ですごいいいアコーディオンの演奏が聴こえてきました。アレンジがいい…!つい一枚所望してしまいました。Bogdanという方です。

●無謀
パリはホテルを朝4時に出て…そこから地獄のフライト。二つの企画の組み合わせで、なんやかやありまして…。パリ→プラハ→クラカウ→フランクフルト→成田という凶悪なスケジュール。ドアツードアで実に34時間かかりました。しかも日本で仕事をする理由もあったとは言え、中3日で再びフランクフルト経由でストックホルムに。会う人会う人に「何故そんなことを???」と^^;

IMGP0458.JPG会場の前でベンヤミンと●LEGENDS
6/1。ストックホルム。トーマス・ベッカー氏プロデュースの任天堂ゲーム音楽コンサート「レジェンズ」は驚く程素晴らしいものでした。ヴァルトネン、ワナモの両氏の驚愕と言える程のアレンジメント、そしてゲーム音楽コンサート史上でも類を見ないほどの演奏力を誇ったロイヤルストックホルムフィルハーモニー管弦楽団。ゲーム音楽をゲームの世界から外の世界へ出すための試みは数多く行われてきましたが、これほど革命的なコンサートはなかったのではないかと思います。きちんと大多数のファンの心を掴みつつ、そのなかで次のアイデアをしっかり盛り込んでいる。トーマス氏に感謝!と、またアーニーさんにお会いしました。クラカウのフィルムフェスでご一緒したその一週間後に今度は私はアレンジャーとして…なんか仕事してる感じが嬉しかったです。そしてベンヤミン・ヌスとも再会。近いうちに一曲…と具体的に約束しました。
→ストックホルムでのベンヤミン氏の動画(私も結構映ってます)

●ヒューストン
7/17。Distant Worldsで単身ヒューストンに。成田で手続きに手間取り危うく飛行機に乗れないところでした。一日目はアーニー、マネージャーのクリス、歌手のスーザン・キャロウェイの三氏と南部料理屋へ。下戸なのにうっかり飲んでしまったフローズンカクテルのアルコールにやられ、かなりやばいことに。翌日は朝からリハとインタビュー。午後は時間が結構あったので、アメリカ在住の友人二人と会い、ホール至近のアストロドームへ…!?ヒューストンアストロズの練習と1回の攻防だけ見てホールへ戻りました。オケは圧巻!私の曲も「強く」聴こえてすごくよかったです。スーザンの歌も本当に素晴らしかった。最後に登壇、ものすごい歓声でびっくりでした…!コンサート終了後はホールをそのまま利用しての質疑応答。これも楽しかった。と、二泊しただけでもう翌日帰国しました^^;

sitetop4.jpg●KIWA
7/31。IMERUAT日本初ライブは二子玉川のKIWAで行いました。おかげさまであっという間に100席完売、ファンの皆さん、本当にありがとうございます!今回はアンサガやFF13などのギタリスト田部井とおるをサポートメンバーに加え、滅茶苦茶なMCの中やりきりました(FF7のコーラスのときの大変な話など)。Minaもホントにがんばった。そしてフタを空けたら、FF13から「Choose to Fight!」や「ヤシャス山」も演奏してたりして^^

●FF13-2
8、9月。父の他界など大変だった夏でしたが、がんばりました。期間も曲数も前回の1/4くらいでしたが、重いシーンばかりだったのでなかなかどうして…。

●4star
10/1。4starオーケストラにお呼びいただき参加しました。黒田亜樹さんのピアノとトークのコンサートを2本。1本目と2本目の半数近くが違う演目という憎いプログラムでした(笑)。ありがたいことにあっという間に計200席が売り切れました。前日はその朝にミラノから帰国したクロアキさん宅で打ち合わせましたが、まぁ高難易度×遠距離移動でヘトヘトでおられました。しかし本番はクロアキさんは全力で弾ききってくださり、研修室のような内観のホールも燃えておりました。初めての演奏となった「天翔ける翼」では涙するファンの方も。私もSF2から私もInterludiumとBotschaftを演奏しました。

●帰省
10/5。私の音楽の根本を培わせてくれた父と、父が育ててきた音楽団体ローゼンビートでの初コンサート。昨年に続いてのクロアキさんとのトーク&ピアノシリーズ第二回目で、4starとほぼ同演目、演出がさらにグレードアップした内容でした。特別ゲストの田部井とおるがアンサガから「ヴェントのテーマ」を、FF13のフランシス・マヤも登場して歌いました。そしてアンコールの「天翔ける翼」「襲撃」の畳み掛けは最強で、私も身震いした程でした!

●伊丹
10/6。伊丹でもIMERUAT!ライブ終了後は0時近くまで、事実上初のきちんとしたファンイベント。もうこれほど暴露しまくったことはなかったかと思います(笑)。0時をまわるとお店には我々三人でライブの大反省会。そのうちにお店の方とお誕生会が始まり…?その日は店長の誕生日だったのです。いい一日を過ごすことができました^^

DWseoul.jpg●ソウル
10/22。Distant Worlds in ソウル、2公演。韓国は天翔けのハングルバージョンのレコーディング以来の二度目でした。近い国ということで油断していましたが、移動が存外大変で、意思疎通ミスもあって結構バタバタしてしまい疲れました。ただスタッフもお客さんも本当に一所懸命で紳士的。とても楽しい時間を過ごすことができました。最後の日の打ち上げの前、楽屋前でアーニーさんと「何が食べられますかね?」「やはり韓国料理じゃないか?」と、来てから一度も食べられてなかった韓国料理を期待したのですが、イタリアンでした(笑)。そこで上海風パスタを頼む私も私でしたが。必ずまた来る!

●根室地方
11月某日。IMERUATの撮影で行きました。前日まで最低気温0℃だったのが到着した日は氷点下10℃。二泊のつもりが一泊の強行、もうクッタクタでした。
→写真

●今年も終わり
12月。暇だと思ってたのに何故かユーストをする余裕がありませんでした。アンチクリスマス曲も途中までやってみたのですが、結構重くてまたの機会に^^; さて来年は何をしようか、大転換の予感も…。

●突然クイズ
パリからの帰路、フランクフルトから成田への機内から。あとでこの街がどこか地図を調べて喜ぼうと思って撮影。噴火がどうので航路がロシア南部コースだったため、大きな街が時折見えました。GoogleMapなどを使って調べて、なんという街か解った人は回答をMONOMUSIKに送ってください。両方正解した方先着一名様にMERUATの次のCDが完成した際に一枚プレゼントいたします。
ヒント
左は割と大きい街。革命家にちなんでつけられた名前で有名ですね。私はもっぱら同名の軍艦を思い起こします。
右はロシアの超有名作曲家と同じ名前の街。彼の生まれ故郷ヴォトキンスクから近く、彼にちなんでつけられたそうです。

左.JPG右.JPG

父・浜渦章盛

2011.12.31

8月14日、父が他界した。私はかつて一度インタビューで父のことを語ったことはあったが、以来極力やらないようにしてきた。私には好きな音楽家や思想家は多数いるが、どうにも表現できないほど超越した存在として尊敬していたのが父だった。他人に父について語る時、どうにも真意が伝わらない。いくら「いや、ほんますごいんやて」と言っても家族のことだし、そもそも私がだらしない人間なので説得力がない。ただ唯一、最も無難な方法として、あまり語らないようにしようと思った。しかし今後のことを心配してくださる人もいるし、なんやかや考えて今年最後に少しだけ書くことにした。

私利私欲とは全く無縁、いつも弱い人のところに行っていた。語り出すと何時間でも聞いてしまうほど雄弁であった。一体どこで身に付けたのか、声、歌唱、解釈、演技、指導、作曲、演出、ピアノ、絵がまさに天才的であり、何より大衆的だった。なのにそれらの才能を自分のために使うことはほとんどせず、また興味も示さず、やはり毎日どこかで弱い者のためにそれらを適当に、しかし実に巧妙に組み合わせ、そして大胆に使っていた。すごいスポーツマンだった。近年はケンカは避けていたが、滅法強く、負けた噂を聞いたことがなかった。ボクシングのスパーリングでプロを倒してしまい、それで音楽家を選ぶような優しい人だった。音楽を誰でも楽しめるようにと無料のコンサートを35年以上も主催してきた。ブラックホールのような求心力があり、家には色んな職業、立場、民族、年齢、イデオロギーの人が毎日のように来ていた。しかも偏っていない。右から左から上から下から極度に広い。私も目の当たりにしてきたが、思えば大変な経験をさせてもらったと思う。満州から引き上げてきたときに栄養失調になり、心臓や目を煩っていた。小学生のときは一人暮らしや施設での生活を強いられたこともあった。それでも屈折どころか、成り上がることもしなく、やはり誰かのために奔走してた。10年近く前に全盲になり一級の障害者になったが、全く臆することも無く人の目を見てバリバリ語り、動き、牽引するので、初対面の人は言われるまで気づかなくて驚く。病院でも診察室の椅子まで普通に歩いて来たので、医者も目を診察してから、文字通り目を疑い「よく準備(失明するまでの訓練)されましたね」といたく感嘆していたとか。私が幼少の頃はラジオやテレビでパーソナリティをやっていて、街を歩くとすぐに声をかけられるほどの有名人だったが、突如それらを辞して次の目標へ移った。国からの表彰の機会があったが、あまり気に入らなかった上、表彰式でわざわざ上京することに「表彰する気があるなら向こうが来るべきやろう」と辞退するような人だった(そういえば経済学者だった母方の祖父も国からの表彰を辞退していたが、私の家族は異端ばかりのようだ)。ある日、父の指導する少年少女合唱団に、当時で言うツッパリのニイチャンが何人も並んで座っていた。一体どこでつかまえてきたのか、街の札付きの不良中学生グループだった。練習中、当時小学生だった私に一人が近づいて言った。ビビる私の耳元で「今…どこ歌ってんの?」「…あ、このへん…」。そんなある日「あいつらはこんなところに出入りしてるのか」と、練習中に学校の教師軍団がドヤドヤと乗り込んできたことがあった。父は子供たちの目につかないところに彼らを連れて行き、こう言って追い返したそうだ。「彼らは今、私の生徒なんですよ。あの子らはシューベルトとかモーツァルトとか、高級〜な芸術をやっとるんですわ。あんたらのような下品な教師の来るところではないんです。練習の邪魔です、お帰り下さい!」。グループのリーダーが放課後体育館で先生を殴って倒してしまい、退学寸前になったときも、教育委員会でかように語った。「仕掛けて来たのは先生のほうで、○○君は授業中だからと放課後にしましょうと言ったんですよね。この時点で彼の方が大人です。そして自分で申し込んだ決闘にのこのこ出て行って負けた。あなたがケンカに弱かった、ただそれだけのことです」と。退学は免れた。またある日、彼らから相談があった。卒業に際し「学校にお礼参りをさせてください」と。今でこそほとんど聞かれないが、卒業式の後に学校に対して暴れるなど色々を仕返しをするというものだ。父はこれに対し「そんなことしたら、またお前らが悪者になるだけや」と策を与えた。卒業式当日、彼らは「お礼参りじゃあ!」と大きなスコップを持って校内を走り回った。「ほら来よった!」と警察に連絡する学校側。しかし警察が到着する頃にはそのスコップを使って校庭の隅をグループが掘り返してる。「記念植樹」をしていたのだ。…と、この一連の話だけでも書ききれないし、聞ききれてない話が多すぎる。要するにそれくらい面白い父だった。

私と弟はその背中を見て学んできたが、得られたのは「このオッサンには何をしても勝てない、ましてや同じ音楽という職業でなんぞ」というものだった。だから小学生のときの将来の目標は「音楽家以外」だった。また私は幼少時代から非常に内向的な性質で、こんなのがあの親の息子かと思われたくないところもあったため、いつもクラスの隅で黙っているような子どもだった。父と正反対のキャラと自覚していたので、人前に出るような仕事は無縁だと思っていたのもある。しかし…気づくと私も弟も音楽の道を進んでいた。合唱団での父の指導も見事過ぎた。私は3部コーラスでセカンドを長くやっていたのだが、そこで和声の面白さに(学問としては理解していないが)ハマってしまったのも大きい。父の選曲と編曲もまた見事だったのだ。好きになってしまったのは仕方がないので、せめて音楽のどこか一部分だけでも父を超えられるようにしようと思った。そして「おう、なかなかやるやないか」と言われるくらいにしたい、と。結局私は何一つ敵わないままだったが、思ったよりはがんばったらしい。病床の父に「お前、うまいことやったやないか(笑)」と褒めてもらった。そして最後の最後、息を引き取る直前まで、もうウケるほど父はカッコよく振る舞って逝った。父を近くで40年も見続けられたことを幸せに思うし、度肝を抜かれるような武勇伝の数々は人に伝えたくて仕方が無い。しかしもうこれ以上やりすぎると「幽霊!六甲で!マジ見たんやて!」くらいな感じになりそうので、これくらいで抑えておこうと思う。ただ浜渦正志はいい曲を書くとか、ちょっとオカシイやつだとか評価してくださる人がおられるならば、私はYMOだのバッハだの言ってはきたが、実のところはこの父の影響が大半であると認識していただいていいと思う。そしてトロくて運動神経が鈍い私が手づかみで魚とりが出来るのも、この父のおかげだと。

ah2.jpg若かりし頃。この風貌でミュンヘンの教会でキリストの再来と牧師に言われ、悪ノリして説いたこともah.jpg近年の父。ついに私は腕力でも敵わずじまいだった。父の壮絶で面白すぎる半生の話を聞くたびに、私はいつも母に訊いていた。「なんでああなんやろ?」と。何故自分の得たものを、何の得にもならない対象に流し続けていたのか。本当に不思議で仕方が無かったのだが、私が30歳を過ぎた頃にようやく。「そういうのが好きなんや…!(笑)」と。別に「誰にも知られず…」みたいにヒロイックに振る舞いたい願望があるわけでもなんでもない。ただ単に本能がそうさせている。母はとっくに解っていたらしい。どうにもならない嗜好の問題。これが父という人物を作り上げていたのだ。そして今私は自分を見て、父に及びようがないと思いつつも、己の極端な嗜好にしか興味がいかないところがとても似ていると思うようになった。そんな私がフリーになったということがどれだけヤバいことか、父の死後あちこちから根本的な性格や考えはそっくりと言われるようにもなったし、不安と楽しみの気持ちで一杯の大晦日です(笑)。

最後に父がお世話になった方へ、長い間ありがとうございました。今後は長男として父の団体に関わっていくことがあると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

葛餅

2011.12.20

私の曲はよく透明感あると言っていただきます。今日はそれについての考察ですが、実際はごちゃごちゃとした和声だらけで、また音数も多いので実は混沌としているケースが非常に多いのではないかと思います。にもかかわらず「透明感がある」とイイ感じで言っていただけるのはどうしてか考えてみました。例えば「水」は何よりも透明ですが、「透明感がある」とはあまり言わないと思います。細かな要素がいっぱい溶け込んでいる液体ほど混沌とした色合いになりますが、そこに旋律や楽器といった要素が沈み込んでいて、ぞぞわっと浮き出てきたら…それでまた妙にくっきりと見えたら…そういったものが透明度を感じさせるのかもしれません。必ずしも要素を薄く少なくすれば透明というわけではなく、透明ではないように思えるものにこそ透明を感じさせるチャンスがあったりするのではないかなと。餡入りの葛餅みたいなものでしょうか。それだけです^^

さて、FF13-2ですが、気づいたらもう発売でした。今回は稼働期間は前作と比較にならないほど短く、曲数も20曲程度でしたのであっという間…ではあったのですが、これが存外大変でした。本作では肝になるシーン、すなわちムービーやイベントを中心に担当したのですが、そういったシチュエーションがガッチリ決まっている「オケ必須」みたいなシーンでは、かわいらしいコトとか気怠いコトとか「遊び」がなかなかできません。FFXのときも三者で分担ではありましたが、どのシーンをやるかは割合自由だったので、ビサイド島や雷平原、旅行公司のような自由な発想の曲も生まれやすかったのだと思います。一連の壮大なオープニングとかにビサイドみたいな曲を鳴らすのはいくらなんでも「ミスマッチの妙」とは言えないでしょう。にもかかわらず、作業中にそういった発想の曲は次々と頭の中に浮かんできてしまうもので、気づくとオケのシーケンスデータに何曲もの「王道でないスケッチ」が記録されているわけです。そういったものはどこへ行くかと言うと…IMERUATなどに回ります。そんなわけでIMERUATの次回作にご期待下さい(笑)。

元い。「浜渦さんはオケが得意だから…」ということで今回はそういうシーンばかりが回ってきたところもあったのですが、そうかぁ!?…とも思ったものです。大概RPGにはオケは要求されるので、そういった楽曲が出来るようになっておかないと…とやってきただけで、前作でも支持を頂いたのは必ずしもオケではなく、閃光、サンレス~、色のない~、Choose to~、チョコボ、サッズなど…。強いて得意なものがあるとすれば、音の並べ方や重ね方でボケられる…とか、そんなところでしょうか。しかしそれは必ずしもジャンルを選ぶ要素ではない、ということです。

また曲数が少なかった一方で、自分の担当曲はオーケストレーションはもちろん、スコアリングを自前で処理したということろが前回とは違うところで(当たり前ではあるのですがスクエニはオーケストレーション以降を外部に振る文化が定着していて、私もその恩恵にいくらか預かりました^^)、さらには色々都合もあって最大で8型の1管編成とTimp、Snare以下というかなり小さいオケで、そこに打込みで補強するという、これまたこれまでのノウハウを駆使したものでした。オケは私だけが担当というわけではないですし、今回の自分の役割はオケ担当というより、「そういう(職人的?)」役割としてやったという感じが強いです。そんな中でも今回も出来る限り仕掛けられたと思いますので、是非聴いて探し出してください。

あと大切な話を一つ!ギタリストの田部井とおる氏がサントラにクレジットされておりませんが、これは完全な手違いです。申し訳ありません。成人したホープのテーマということで、前回のホープの音楽を最も理解している男にお願いした次第です。サントラのブックレットに「田部井とおる」と書き加えていただけると幸いです(笑)。また今回は歌ものはやるつもりはなかったのですが、開発終盤にディレクターの鳥山さんからの指名で前作に引き続きフランシス・マヤに参加してもらいました。「エース緊急登板」といった感じで、さらっと完璧に…見事でした!

最後に…いつもいつもたくさんのファンメールをありがとうございます。昨年のようにダイアリーにて返信しようと思っていたのですが、遅くなって申し訳ありません。ツイッターは即返事するのにメールは一年も…というヒドい不公平なことを…しっかりお返事させていただきます。さて、今年も残すところわずかとなりました。皆さん、私のようにサントラのインタビューのときに喉風邪をやってしまい「喋れずに延期になった」などというようなことのないよう、お気をつけてお過ごし下さい。

伝説

2011.11.13

Legends_37.jpg「Legends」のステージにて。(ストックホルム) Photo : Jan-Olav Wedin
 書くべきダイアリーが山ほど溜まっており、もはや「ダイアリー」ではないのだが、今日はタイミングを考えて「Legends」について。もう半年近く前のことだが、6月1日にスウェーデンのストックホルムで開催された任天堂オーケストラコンサート「Legends」に、3曲のオーケストラアレンジで参加、現地に向かった。待っていたのはトーマス・ベッカー氏。FFオーケストラコンサート「Distant Worlds」の仕掛人であり、この度「Shymphonic Fantasies」の日本開催を実現させた、ゲーム音楽オーケストラコンサートの父のような存在である。彼と初めて会ったのは、私のソロアルバム「Vielen Dank」のミュンヘンレコーディングにコーディネーターとして参加していただいた時である。それから4年が経ち、私がフリーランスになったとき、いの一番で声をかけてくれたのが彼だった。「Donky Kong Country」(邦題「スーパードンキーコング」)のオーケストラアレンジの依頼であった。これは2010年9月にドイツ・ケルンで初演され、お陰さまで大変好評であった。その時に最も賞賛してくれたのは彼であった。彼は常々「挑戦」することを心に決めている。彼が私の拙いオーケストレーション技術を押してでもアレンジャーに指名してくれたのも、私が常々かねてより破壊活動をしているのを知っていたからであろう(笑)。Donky Kong Countryのアレンジについては「そこまで原曲を変化させてもいいのか」という意見も一定数あったらしい。これは私にとってほぼ狙った通りの結果だったと思ったのだが、トーマスもそうだったようだ。彼とは何度もやりとりのメールの中で、ゲーム音楽をただゲームのシーンを思い起こさせる感動作品として装飾して提供するのではなく、何故その作曲家が編曲しているのか、音楽として一体どこまで昇華させることができるのか、そういった音楽本来の在り方を与えることも必要ではないかというような話題で盛り上がった。また幸いなことにDonky Kong Countryのピアニストはベンヤミン・ヌスであった。彼は私の初稿に対し「もっと難易度を上げてもらえたら」と言ってきた。こんな嬉しいリテイクは初めてである。おかげで私とトーマスの狙いは完全へと近づいていったのである。

 ストックホルムでは「Donky Kong Country」の他に「星のカービィ」の木管五重奏と「ピクミン」のオケのアレンジを加えて参加させてもらった。私は「Legends」という単語一つだけの単純明快なコンサート名について、どうして彼がそう名付けたのか訊かなかったが、今となってはなんとなく解る気がしている。訊いてみてもいいのだが、敢えて勝手に解釈するなら、なんたらの伝説とかではなく兎に角伝説であり、それほど重要なコンサートとして見ていたのではないかということである。モツレクのキリエの最後の和音に第三音が入っておらず、メジャーでもマイナーでもない、「とにかく終止なんだよこの野郎!」みたいな潔さ、格好良さである。多分に予想は外れていそうだが、私はそのように後々うけとってしまった。それはトーマスのコンサートに対する並々ならぬ想いを感じたからだろう。ストックホルムにはトーマスの他、10日前にポーランド・クラカウで会ったばかりのコンダクターのアーニー・ロス、そしてピアニストのベンヤミン・ヌス、Donky Kong Countryの原曲の作曲家のデビッド・ワイズ、そしてフィンランドの新進気鋭の、いやもうそのあまりの天才ぶりに私が冷や汗をかいたくらいの作編曲家のロジャー・ワナモとヨンネ・ヴァルトネンの二人がいた。

 コンサートはゲーム音楽コンサート史上最強と言っていい内容だったと思う。ロジャーとヨンネの世界的評価を受けるべきオーケストレーション、そしてロイヤルストックホルム管弦楽団の信じられないくらい優美で強力で完璧な演奏、そしてゲームファンの期待の先を行くトーマスの気高さ…!トーマスは自身が主宰した最高のコンサートになったと自負していた。私も全く同意であり、絶賛させてもらった。何故なら最強のコンサートでありながら世論全体の支持を受けた訳ではないからである。最大の支持を受けるということは世論の最大公約数を得たということである反面、時代のど真ん中にいるということであって、必ずしも時代をリードしているとは言えない…とも言い切れないが、そう感じざるを得ないことが多い。完全な支持を受けないこと、あるいは不支持が圧倒的勢力である場合、それは古くて評価に値しないのか、新しい提案であることで理解を得にくいかのどちらかである。私はサガフロンティア2というゲームで発売当初に圧倒的不支持を得ながら、徐々に評価を得るようになって、私の過去作の中ではFF13をも上回る内容であるかのような印象を受けるまでになったが、それを引き合いに出した私の言葉にトーマスは「我が意を得たり」の熱い返信をくれた。私は今回のコンサートの評価は間違いなく「新しい提案」の方であると確信している。「完璧でないという完璧」を成功させたことで、トーマスは自身最高のコンサートだったと自負できたのであろう。ただそれを言う人が少ないのか、私の言葉でもとても喜んでもらえたのは、私自身もとても嬉しいことであった。ロジャーとヨンネのオーケストレーションは、曲によっては長大だったり、激しさが極まっていたり、実に難解なところもあっただろう。要するにこれまでのゲーム音楽の聴き方ではリスナーは完全に対応出来ないのである。私は二人の媚びない、純粋に音楽を高める姿勢が痛快だった。私もなんとなくテロル的姿勢でなんとか生きてきたので余計にそう感じたのだろう。

 ちなみにストックホルムに前後して、トーマスの依頼で植松伸夫さんのFF10のエンディング曲のオーケストラアレンジもやったのだが、実はこの曲はピアノコレクションズ・ファイナルファンタジー10でピアノアレンジをしたことがあった。まさか9年後にまたオケアレンジをするとは…と感慨に耽っていたのだが、一つ問題があった。いくらピアノとオケの違いがあれ、同じような流れの曲にするのは私の神経が持たない。よって実は2バージョンを作ってしまったのである。ケルンでの植松さんのオーケストラコンサートでのサプライズのアンコールということで、トーマスと相談した結果、「ここはさすがにイベントのラストらしく」ということで、「狂ってないほう」を選んだ(笑)。こういった2バージョンの提案や、落としどころの共通認識とか、本当に彼からの仕事は有り難くて仕方が無いのである。

 そのトーマスが来年早々日本にやってくる。昨年の東京国際フォーラムでのDistant Worlds以来である。「Symphonic Fantasies」。蒼々たる作曲家陣の楽曲のオーケストラで、二年前にドイツで開催されたコンサートの再現である。今回はまた彼の強いチャレンジ精神が現れたコンサートだ。日本ではこれまでなかなかゲーム音楽コンサートを開催するのは難しかった。楽曲使用料や演奏許可などの問題もあって、アマチュアが自主的に演奏会を開くケースがほとんどで、それは世界でも同じことが言えることであった。トーマスはDistant Worlds等でその壁を打ち破ってきたが、肝心な本国である日本はより高いハードルがあった。世界的なFFでようやく、そして旧スクウェア系の本格的なオーケストラコンサートの初逆上陸である。それはともかくトーマスがいなければ…と考えるといかに彼の作業が偉大だったかお解り頂けると思う。しかしまだまだ乗り越えなければならないハードルはあるだろう。ストックホルムのような、未来に伝説化してしかるべき挑戦も必要である。トーマスと彼の主宰する「Merregnon Studios」に是非注目していただきたい。「Symphonic Fantasies」には私もかけつける予定です。

10月1日〜6日

2011.10.8

IMG_6842.jpgローゼンビート・クライネルザールにて一連のコンサート・ライブ週間が無事終了しました。ご来場の皆さん、また来られずに残念がってくださった皆さん、遠くから応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました!過去曲のお気に入りを演奏したこともあり、過去十数年を総括するような機会になったということで、少しだけダイアリーを。
今回は平日にも関わらず、お仕事を早めに切り上げたり、休暇をとって二公演連続、二日連続でいらしてくださった方、はるか遠方からいらしてくださった方もたくさんいて、申し訳ない気持ちも強くあったのですが、お一人お一人の熱い応援を強く感じることが出来たことは本当に感激でした。

また周辺や黒田亜樹さんや田部井とおるが言うように「本当に礼儀正しいファンばかり」で、あとから聞きましたが「サインなんてそんな!」などと遠慮して帰っていかれた方も多数おられたとのこと。もちろん声をかけていただくのも嬉しいですしサインは喜んでさせていただいておりますが、そのように配慮される方の存在もまた嬉しいです。自分を応援してくださっているファンはこれだけ奥ゆかしい人ばかり…と思うと^^ だからこそ、毎回「会場全体信頼できるよね〜?」なんて感じで、トークセッションでもあれもこれも話すことができ…(笑)。そういった方とまともにお話もできかったり伝える場所がなかったので、この場を借りて…心からお礼申し上げます。
そしてしっかりお一人お一人、またお会いしたことのないファンの方の想いも心に刻み、本来の「音楽で伝える」に戻りいいものを少しでも書いてお返しできるように精進したいと思います。でも次回機会がありましたら、応援されて嫌なことは微塵もありませんので是非遠慮なさらずにお声をおかけ下さい!…と、4starではそういった機会自体がなく、本当に申し訳ありませんでした(涙)。また少しでも機会を設けられればと思っています。田部井とのトークの続きはそのうちUstでやりたいと思っています^^

Distant Worldsや海外公演とは違い、ピアノ主体のコンサート、そして個人プロジェクトのライブというのは、達成感も大きいですし疲労もまた大きいものでした^^; 過去作のお気に入りを演奏し、また田部井と羽目を外した暴露トークをしたことで、少々「吐き出してしまった」感が強く、また積み上げなければ…と昨日もずっと考えていました。そういうときの自分の顔はMina曰く「憔悴しきってる^^;」そうです。やはり本来やるべきことは何十年も変わらず、「オモロイもんを作る」だと思います。…ということで、ちょっと二、三日実家に帰って休んでおります。そして一年近く溜まったファンメールへの返事…かな^^; 8小節作曲プレゼント当選の方はそれから…しばらくお待ち下さい^^

最後に、持てる力を全て引き出し浜渦ワールドを再現してくださった黒田亜樹さん、無茶な要求に応え続けてくれたMina、自分の音楽を20年もいい形にし続けて来てくれた田部井、コンサートを成立させてくださったローゼンビートのスタッフの方々やモノムジークのスタッフ、意義深いイベントを見事に成立させた2083の皆さん、これまで楽曲制作の機会を作ってくださったクリエイターの方々と裏で支えてくださったスタッフの方々、これら全ての音楽の根本を作ってくれた父、そしてこれまで応援してくださった全てのファンの皆さんに心から感謝申し上げます。

好きな作曲家 その2

2011.1.2

昨年、FFXIIIのピアノコレクションズの横浜でのコンサートで、ご来場いただいた方から作曲家・坂田晃一さんのアニメサントラCD「この星の上に」をいただきました。私は不躾にも一枚持っていることをお伝えしたのですが、それでもどうぞと。二枚目ですが本当にありがたかったことを、この場を借りてお礼申し上げます。坂田さんの楽曲は大好きで、このサントラはかつて一日何十回もくり返し聴いていたものだったので、本当に嬉しかったです…!

坂田晃一さんの曲はたくさんは知りません。有名なところでは大ヒットしたNHKドラマ「おしん」の音楽、杉田かおるさんの「鳥の詩」、アニメ「母をたずねて三千里」の音楽などは多くの方がご存知かと思います。私が好きなのは私が勝手にそう呼んでいる「大河ドラマ坂田三部作」です。坂田さんはNHK大河ドラマの音楽を三度担当されており、「おんな太閤記」「いのち」「春日局」がそれです。

これをくり返し聴いていたら、もういつ死んでもいいと思うくらいに感動します(笑)。

私はこの3部作に法則を見つけました。いずれも主人公が女性であること、そしていずれのオープニング曲がも三拍子系であることです。女性が主人公であるのは珍しいと思うのですが、担当した3作全てがそうであったのは偶然であったのか、どうしてかは分かりません。ワルツに関してもそうです。…が、これらの曲は三拍子でないと全く良さが出ないメロとコードであることは分かりました。もし四拍子だったらと、想定してピアノを弾いてみたりしたのですが、全然別曲みたいになってしまいます。驚いたのは、もう一拍でも待ってしまうとコード感さえ変わって聴こえてしまうということです。私はそのとき初めて、拍子はリズムやメロだけでなく、和声にまで大きな影響を与え得るものだったのかと衝撃を受けたものでした。「おしん」のオープニングテーマもやはり三拍子です。本当に上手く構成されています。決して大げさでなく、私は坂田さんのことを「日本のワルツ王」と思っています。

なぜここまで私の心を打つのか…当時、いろいろ分析してみたのですが、いくつか理由が浮かび上がってきました。まずは当時の私自身の姿です。小学生だった私は学校があまり好きな方ではなく、日曜の夜に大河ドラマの曲を聴くと「明日からまた学校か」と少々不安になったりしたものでした。母親とのテレビでの団らんの時間も終わり、私と弟は風呂、母は大河…と、なんとなく寂しい。そこに切なさの境地の坂田音楽…!時代的に「おんな太閤記」などは特に、聴くとそういった当時の私の心境が強烈によみがえってくるのです。「この星の上に」もここ十数年以内のものですが、三十年以上も昔、NHKでなんどか聴いたことのあるような音楽ばかりで大変切ないです^^;たぶん間違いないと思うのですが、たくさんのNHKの楽曲を担当されていたのではないかと思います。

心を打つもう一つの理由は、「湖上をゆく優雅な白鳥の姿」のような音楽の構造です。一度これらの楽曲のコードを追ってみてください。繊細で優雅なメロディに耳を奪われがちですが、水面下では慌ただしく、いや猛烈に水を蹴り続ける白鳥の脚のごとく、ことあるごとに激しく展開して行く超・機能的にコードが支えています。コードだけを追っているともう目が回りそうな勢いなのに、水面上では実に優雅…本当に美しいです…!本当に真似ができません。何度も吸収しようとがんばってみましたが、全然モノにできませんでした。

二、三年くらい前、スクエニ近くの小さな病院の受付で、某大学に務めているということを話している初老の男性を見かけました。耳をそばだてていると坂田さんが教えている大学で同じく教壇に立っている方だったようでした。私はもう病院を出るところだったのであまり立ち聞きはできませんでした。気になって本当にその学校が坂田さんが教えているところだったのか調べようと思ったのですが、向かったすぐ近くの調剤薬局はケータイ禁止。処方箋を待っていると、さっきのその方が入ってきたので、お互い軽く会釈…。私は薬を受け取って、近くの飲食店へ向かいながらケータイ検索。なかなか見つからず、カウンターに腰掛けながら調べていると、またその方が入ってこられました。「お互い行動パターンが同じですね…^^」なんて感じでまた会釈をしあいました。検索が終了し、確信を持つことができたので思いきって聞いてみました。ご存知であるとのこと!でもそれだけでした。スミマセン。

と、今また三部作を聴いていたのですが、アカン(涙)。マタイと三部作があれば浜渦はいつでも泣かせられます。

好きな作曲家 その1

2010.12.17

スクウェアに入社してすぐくらいだったと思います。14年くらいまえでしょうか。
祖父母の住む、香川県高松市に行った時のことです。その日はホテルに泊まったのですが、深夜まで起きていたのか、あるいは目が覚めたのかは覚えていませんが、なんとなくテレビをつけると天気予報がやっていました。
天気予報といっても、ずっと同じ四国、中国地方の地図のCGが繰り返し映し出されているだけで、音声もなくBGMがずっと流れているだけです。そのBGMが衝撃的でした。このチープなCGの上にぼそぼそと語るように歌う外国語の歌と気怠さの極地のような和声のギター…。なんちゅう「絵」だ…!と、不気味で恐ろしくて画面から目が離せませんでした。まもなく天気予報が終わり、ぼーっとしたまま眠ってしまった…のでしょうか。翌日からその「雰囲気」がずっと頭から離れませんでした。
東京に帰ってからも気になって会社近くのCD屋に行きました。しかし誰の曲かはもちろん、どんな曲かもメロも思い出せません。どこの放送局かも覚えておらず、また問い合わせる発想もなく…。
「雰囲気」という情報だけで、これだけ膨大なCDの中から探し当てるなんてあまりに無謀です。洋楽?ワールドミュージック?…ここは…フレンチポップスか…そういえばこんな感じだったかもなぁ…。と、なんとなく一枚を手に取ってみたところ、ジャケットのまんなかにぽつんと映っているフランス人らしきお兄ちゃんと目が合いました(笑)。なんか面白そうだな…買ってみるか。もはや天気予報の曲だろうかなんて期待はどこかへいってしまってます。
帰ってCDプレーヤーにかけたら…あまりの出来事に、心は素~な状態でした。まさに天気予報でかかっていたその曲だったのです。高松から帰って来て買ったのはその一枚だけです。何千枚もの中から一発で探し当てた…ちょっとあり得なさすぎないか。Mathieu Boogaerts(マチュー・ボガート)。フランス語でぼそぼそと歌う。滅茶苦茶宅録。ギターとチープ且つ繊細な音源。そして何より猛烈に深い和声。そこからもうハマりまくりでした。

Distant Worlds

2010.11.12

dw.jpgコンサート後の取材時。唯一手元にあった写真です^^;6日、東京国際フォーラムでのオーケストラコンサート『Distant Worlds music from FINAL FANTASY Returning home』に参加してきました。

FF13よりオーケストラで演奏された楽曲は「閃光」、「ファングのテーマ」、「ドレッドノート大爆進!」(ゲストアーティスト:ベンヤミン・ヌス)、「ファブラ・ノヴァ・クリスタリス」(ゲストアーティスト:フランシス・マヤ)、「ブレイズエッジ」(ゲストアーティスト:ベンヤミン・ヌス)の5曲でした。
前日のリハまで概要をあまり理解していなかったことやレコーディングもあって、気づくと突然のお祭り…!という感じでした^^時系列では非常に書きにくいので、思いついたことを羅列します。

リハーサル

前日のリハは横浜で行われました。一人で電車とバスでトコトコと…。Distant WorldsのDVDを制作するという話も聞いていたのですが、現地入りのところからカメラが回っていました。控え室に案内されると、そこに懐かしいお顔…植松さんの姿が!いきなり会話がはずみ…このあたりはDVDに入るでしょうから、そちらをお楽しみに^^リハのホールに入ると、アーニー氏、ベンヤミン氏、ベッカー夫妻、フランシス(このあたりの面々については後ほど)と握手握手…。そしてまもなくリハスタート。アーニーさんとやりとりしつつの進行で、あっという間に終了。…このときの様子はこちらにもあります。そちらのほうが雰囲気が解りやすいかな…^^


ベッカー夫妻

Distant Worldsにはベッカー夫妻も帯同されていました。お二人には「Vielen Dank」のコーディネートで現地ミュンヘンでお世話になって以来、4年ぶりの再会です。夫のトーマス氏は「Symphonic Legends」の主催者で、先日「Donky Kong Country」のオーケストラアレンジをさせていただいたばかり。あれは大成功で客の反応も違った…なんて改めてお褒めの言葉もいただきました^^またお二人が経験した渡航による収録の中で一番印象深かったのが「Vielen Dank」だったとか。嬉しいお話ばかりで感激でした。お二人にお会いして俄にドイツ熱が…^^;


ベンヤミン・ヌス

ピアニストのベンヤミン氏と会ったのは今回が初めてです。先述の「Donky Kong Country」のピアノも彼が演奏しており、その成功は彼の存在があってこそでした。彼からは度々Facebookでメールをいただいていたのですが、来日直前のメールに「浜渦さんのために曲を書きました」との文面が。 当日のゲネ前に楽屋横の応接室にあるアップライトピアノで照れくさそうに「その作品」を演奏してくれたのですが、そのWunderbarなこと。彼曰く私の音楽にも影響を受けたらしいのですが、和声の使い方が本当に似ていて、なるほどラヴェルが好きだとか。また彼は「Vielen Dank」がお気に入りらしく、しきりに「Kaki」が弾きたくてスコアはないのですか?と言っていました。やはりあれはなんとかスコア化しなければなりませんね。彼が演奏会で披露してくれるかもしれませんし、スクエニさん、再考しましょう^^ さて、彼の本番の演奏ですが、ピアノソロの「ドレッドノート大爆進!」は特に素晴らしく、我々の音楽的嗜好の近さもあってか、和声的な意図をしっかり汲み取って演奏をしてくれました。また彼は本当に大人しくて優しい好青年で、休憩中に私のこどもたちの相手までしてくれていたのですが、そういった繊細な性質も演奏に現れていたと思います。植松さんや山崎良氏にもあれは凄かったとベタ褒めを…こんなに琴線に触れるピアニストに出会えるとは本当に幸運です。翌々日に彼と会食をしたのですが、是非いつかコラボをやりましょうと話しました^^


アーニー・ロス

コンダクターのアーニーさんとは事前にメールで何度もやりとりをしていました。選曲のこと、オケのこと、アレンジのこと…その全てで自分の意見がしっかり反映されたのは本当に嬉しかったです。彼は大変行動力があり、また周囲の意見もしっかり取り入れる方で、世界中を飛び回って成功を続けている理由がよくわかりました。「『閃光』は外せないと思うのですが、それには新しくアレンジしなくては…」と申し出たら、まもなくスクエニからオケアレンジの依頼が来ましたし、5曲目の選曲の際も、彼から「合唱団もいるので『宿命への抗い』あたりはどうか?」と提案してこられたのですが、「『ブレイズエッジ』を生で聴きたいというお客さんが多いはず」と推したところやはり快くOKをいただきました。ゲネプロ後にも同曲についてのテンポの指定などさせていただいたりも。まさに指揮者という方でした。公演終了後ものメールで是非また近い将来…と少しばかり具体的なメールをいただきました。


フランシス・マヤ

本番決めてくれました…どんどんいい歌手になっていきますね。最初はこの歌の代わりにアーニーさんに別の企画があって、それが思いがけず成立しなかったところに、私がこの提案をして採用されたのですが、こんなにいい感じになるとは思いませんでした。「ファブラ・ノヴァ・クリスタリス」に「誓い」の歌詞を乗せた構成は、アーニーさんと相談して決めたものです。「誓い」だとあまりにも短いと思ったのとコンサートに向いているだろうということで「ファブラ~」にしたのですが、このバージョンもテンポが早めになったので、もう1ループ!といきたいところでしたね。それと実は彼女が当日着ていた衣装は私の父が以前彼女にプレゼントしたものでした。父が横浜で演奏会をしたときに、長年の門下生である彼女も参加し、そのときのものだったそうです。歌も衣装も本当にばっちりでした^^


植松さん

植松さんとは久々の再開でした。とにかく話が弾みました。何が弾んだか…と、それはDVDに収録されると思いますのでお楽しみに^^ 植松さんとは舞台裏で色々悪巧みもしていました。「そういえば浜渦ってセフィロスコーラス隊のオリジナルメンバーだったじゃん?混じって歌えば?」「ええっ?もう引退してますから^^;」「俺も一緒に出るから」「それなら話は別です」…と、植松さんが早速アーニーさんのところへ直談判。リハ開始直前で、タキシードもなかったのもあって撃沈でした^^;また本番開始直前に、客席横の扉から二人して入場、着席…という流れになっていたのですが、扉の前で「浜渦から先に行く?」「それは先輩から!」「じゃあジャンケンで決めようか」「なるほど、勝ったら…」「勝ったら…後ろ?」「後ろ…はい!」などと話し…「最初はグー」で一発で私が勝ちました^^ 二部の終わり前にも、カーテンコールでステージに上がる準備を、ということで客席から植松さんと舞台下手に移動…と、扉まで歩いて振り返ると、ウチの娘が二人ついて来てる…!あれはそういう演出でもなんでもなく、私が席を立つ際に「またあとでな」と長女の膝をぽんぽんと叩いたのですが、長女は私が「ついておいで」と言ったと勘違いして二人して着いて来てしまったのです。植松さんが「せっかくだから抱っこして舞台に上がっちゃいなよ!」と仰ってくれたのですが、それはいくらなんでも…!と辞退させていただきました^^;何度もカーテンコールをご一緒し、最後は仲良くお手てつないで退場…(笑)。本当に楽しい時間をありがとうございました!


閃光

コンサート終了後には、切っても切れない戦友、スクエニの山崎良氏が楽屋にかけつけてくれました。あとで彼からもらったメールを読んで…いやぁウルッと来ましたね。駆け出しの頃からずっと一緒にやって来て、彼無しでは今の私はあり得ないくらい頼りにしてきた人間で、「閃光」の原曲も彼のアレンジがバリバリ光っていました。最初に作った「閃光」のラフスケッチにはオケ楽器しか配置していなかったのですが、それにロック要素をガッチリとかぶせてくれたのが彼です。今回のステージでの「閃光」はその基本の「オケオンリー」に立ち戻り、新たに自分でアレンジ、スコアリングしたものですが、曲のラストにはE3バージョン(「FINAL FANTASY XIII Original Soundtrack -PLUS-」の「PV『FINAL FANTASY XIII 2006 E3』」)のエンディングのリアレンジを合体させました。このE3バージョンはFF13で最初に出来た曲なのですが、彼がE3に行き実際に現場で聴いて帰って来て「フルオケじゃないと負けるなぁ…」と悔しがっていたのを覚えています。私が「そりゃ俺も思うけど、こいつハッキリ言うなぁ」とイラっときたのも(笑)。それが今になって実現できたので本当に感激でしたね。このアレンジはとりあえず彼に捧げます(笑)!彼ともその三日後、久々に一緒にレコーディング…、にわかにコンビモードが戻ってきました。

最後になりましたが、ご来場の皆様、本当にありがとうございました。早速来週から本公演のDVDの編集が始まります。素材を少し観たのですが、これは素晴らしいものになりそうです。是非楽しみにしていてください^^

ピアコレコンサート回想3

2010.10.14

遅くなってすいません、ほとんどずっと前に書き終えていたのですが、最終アップがなかなかできず…横浜編です!

・9/3 横浜ヤマハホール

横浜はこれまた私の地元であります。私は7年前から横浜市民で、この日は地下鉄で横浜ヤマハまで行きました。

横浜ヤマハはまた千里とは違い、地下の小さなホールでステージに段差が無く、ライブハウスのような雰囲気でもありました。
出入り口も客席中央横にあり、そこから入退場。これはまたアットホームなステージになるなぁと。またチケットが即売り切れてしまったということもあり、今日は相当深いファンの方が来られるのではないかという予想もしておりました(追加公演も考えたのですが、黒田さんが翌日ミラノに帰ってしまうことや代替のホールがすぐに見つからなかったこともあって、残念ながら成立には至りませんでした。)。
でもって、それは的中でした!80席欠席者無しで、楽譜もCDをかなり売れたらしいです。ステージからお客さんの視線の鋭さは非常に感じましたし、質問コーナーでも挙手される方も20名ほどいらっしゃったでしょうか。あまりに強い客席のオーラに、こちらが負けてしまうような、ややもすると固い雰囲気になるかも…?

IMG_0757.jpg後方のお客さんを前へ……というところへ、やはり亜樹さん得意のアドリブが全開!
後半の部が始まると、ステージと客席の段差がないことで後方のお客さんが見にくかろうと、「ピアノの周りへ来たい方、どうぞ!」とステージへお客さんを誘導。この作業だけでも5分くらいかかったかもしれませんが(笑)、ここからコンサートは一気に、この上ないくらいアットホームな雰囲気になり、どんどん盛り上がっていきました。
実はこの案は第二部の開始直前に亜樹さんが提案されていたものの、直前に「やはり危険もあるかも」ということで却下になっていたのですが、それをステージに上がりとっさに「やはりやったほうがいい」と判断されたのでしょう。ピアノもトークも仕切りもなんでもアドリブが出来る大先輩に感服です。

それだけでも十分なサプライズだったのですが…千里の夜、私は「しまったー」と、仲間内にコボしておりました。「横浜組の方のために、アンコールの内容はネットに書いたりしないよう内緒にしておいてくださいと言うべきやったー」と^^;
このままでは横浜の方はサプライズ感がないということで、SF2の別の曲はどうかとか色々考えていたのですが、当日になって亜樹さんらから「やっちゃえば!?」と言われ、自分で弾くことになりました。
コンサートでのピアノ演奏は実に20年ぶりです。高校生か浪人生のときに、地元川西で半アドリブ的なものをやった以来…。千里と同じ曲ではありますが、「Vielen Dank」のスコアに近い、「Botshaft」バージョンでした。それでもってリハの最後は亜樹さんから数分だけでしたがレッスンを受けました(笑)。
ペダルが昔から下手で、本番はベッタリになっているのが解っているのになかなか上げられず足がガタガタと…^^;それでも「あ、いけそう」と調子に乗っていて1ループで終わらせる予定を、その場で2ループに変更しました。ご清聴ありがとうございました^^

IMG_0711.jpgリハーサルで練習中 質問コーナーではたくさんの挙手をありがとうございました。全部にお答え出来ずにすみません。できるだけサイトでもお答え出来ればと思っていますので、またメッセージをお寄せ下さい。
…と、ひとつ答えきれなかったことがありましたのでここで補足します。私はひねくれ者なので、バトル曲を作るときもストレートさを回避して何か捻りを盛り込もうとしてしまいます…みたいなことを申し上げたと思うのですが、肝心(?)な理由が抜けていたことに気づきました。バトルが激しいのは当たり前なのでその状況を表現したり応援するのではなく、幾度もの闘いの中で内面に積み重なっていく様々な想いを一つ一つ認め、それらを溢れさせようという「感じ」の意図です…(笑)。
サガフロ2のノーマルバトルなどはメロがほぼ6度という狭い中で「もがいて」います。バトルのサビなのに飛躍感を抑えている…?間もなく反復しはじめるので大きく動くのかと思うと、まったく同じパターンでコードに変化があるのみ。表面的な存在であるメロがプレイヤーの表情で、コードが内面を表しているのですが、飛躍寸前でメロが内面を常に抑え込んでいる構成になっています。これを繰り返していくうちに、敵との戦いではなく内面との闘いの積み重ねになり、そうして温められた強い想いがやがて中央に躍り出…ちょっとヤバい文章になりそうなので、このへんで^^;

こういうコンサートはまたやりたいと思っています。ただ作曲者である私であっても、スクエニさんでの過去作品は全て…オリジナルの「Vielen Dank」も含め、著作権はスクエニさんに帰属しているので、成立させるのにはいろいろ乗り越えなければならないことがあります(Ustreamの生放送でバックに流していたピアコレの曲も分数から全て申請が必要です)。
過去曲にひとつも印税が無いということはよく驚かれます。最近も、とあるステージのプロデューサーの方にその話をしたら「作曲家の権利として大原則のはずですけどねぇ…おかしいなぁ…?」と何度も首をひねられていましたし、ゲームのディレクターさんですらその制度を知らず驚いておられました。私は「そういうもの」としてやってきたので不満を感じたことはないのですが、ただ運用、展開の仕方などもったいないことが多いという意見には、近年なるほどと思わされることは増えてきました。
売ることを課せられている大きな組織が著作物を持って運用するとなると、どうしてもイベントやコンサートは大規模なタイトルから優先しなければならないところもあるでしょうし、市場の価値以外の意義はなかなか見出しにくいと思います。またそこに作曲家がいないということは、その曲の価値の引き出しを一番知っている人がいないといことですし、これは確かに惜しいことだなと思います。
今回のイベント、コンサートも、3つのうち1つは自前でやったのですが、他の2つは実はヤマハミュージックメディアさん、ヤマハ横浜店さんの主催によるものでした。それぞれが大きな夢を持って、身を削って引っ張ってくれたこと、黒田さんが情熱を持ってゲーム音楽の魅力を各所に説明し働きかけてくれたこと、またスクエニさんも全力で協力してくれたことで成立しましたが、通常だとそう簡単にはいかなかったはずです。
私程度の作曲家にちょうど良い、このようなアットホームなサイズのコンサートで「昔の曲」を扱うのはなかなか大変なことだと思います。しかしファンの皆さんとの距離を肌で感じられたこと、その一人一人の熱い応援が、この難関を乗り越えたいという気持ちへの大きな後押しとなったのは間違いありません。

最後に…たくさんの方と握手会でお話させていただきましたが、ある方に「迷わずに自分のやりたい音楽をやってください」と言っていただいたことにはハッとさせられました。
以前にもそういったメールをいただいたか、または声をかけていただき、勇気づけられたことがあるのですが、フリーになってからまたぼやけておりました。とても大切なことで、迎合に向かうといつも必ず作品の出来がよくなくなります。これからは「いかに売れるか」がますます評価基準になっていきますが、やはりそういった感覚の中での曲作りは絶対に向いていないので、そこに焦ると結局はいずれ脱落することになるでしょう。
それでわざわざフリーになってまで、自分のやりたかったことをやろうとした意味が何もなくなります。どんどん潜伏することになったらすみませんが、「ありえへん」ことへの挑戦は至上命題にしていきたいと思います^^見えにくいかもしれませんが、是非ともチェックお願いします。

ピアコレコンサート回想2

2010.9.30

・8/29 千里ヤマハホール

私は2歳頃から19歳まで、関西で過ごしました。香里園、満願寺を経て、幼稚園時代は池田市の古江町という小さな山の町、小学一年生からは川西市、3年生の3学期から同じ住宅地内で引っ越し、それが実家ということになります。
千里は川西から非常に近かったのですが、訪れたのは約30年ぶり。父がラジオの仕事でよく千里に行っていたときに、数回行った記憶があります。今回は新大阪から地下鉄・北大阪急行に乗り換えたのですが、新幹線を使って帰省するときはJRを使って大阪梅田か川西池田まで移動するので、地下鉄新大阪駅は受験以来で本当に久しぶり。
まさかここでコンサートをするとは夢にも思っていなかったので、新大阪に降り立ってからコンサートが終わって夜中まで、ずっと感激に浸っていました。…そんな感じには見えなかったでしょうか^^;

IMG_2077.jpgリハーサル中会場には昼の12時に入ったのですが、地上20階にあるとても奇麗な素晴らしいホールでした。
トークだけとは言え、気合いも入ります。最初はモロに緊張していましたが、やはり地元大阪、無口な私でも客席とのキャッチボール?がとてもしやすく、楽しく話すことができました。
堅苦しいコンサートなのかも…と思ってやってきたお客さんも結構いらっしゃったとのことですが、これだけアットホームで笑い声が絶えないコンサートになるとは、私も想像していませんでした。おかげですっかり緊張もほぐれ、いろんなお話…特に自分の作曲における傾向なんかはしっかりお話できたと思います。

演奏の方もピアノの状態がよかったらしく、亜樹さんもとても弾きやすかったらしいです。第二部の「歓楽都市ノーチラス」の演奏の、情熱的だったこと!第一部でも少し指先を怪我されていたのですが、この曲の激しいグリッサンドで…見ると4オクターブくらい?の範囲の白鍵が血で染まり…!トーク中にヤマハの方にお願いして、血を拭き取ってもらうハプニングまで。写真に収められなかったのですが、「流血ピアノ」…も語り継いでください(笑)。

アンコールでは「SF2」から「β1」を亜樹さんに演奏していただきました。これは「Rosenkranz」仕様の、かなり素の原曲バージョンで、サガフロ2の発売から11年以上の時を経てようやくの公の場での生演奏!(※)FFXIIIのピアコレのコンサートでしたし、しかも曲名を言わずにいきなり弾いてもらったことで、客席から感嘆の溜息が一斉に上がりました。溜息が幾重にも重なったあれはなんでしょう…「おぉっ…!」とか「どわっ…!」とか(?)、擬音語で表現出来ないのですが、その一瞬のエも言われぬ空気感は、ステージ上の椅子で聴いていた私の胸にモロにズドンと突き刺さりました。何名か涙ぐんでいるお客さんの顔もしっかり見え…本当に感無量という他ありません。同時に何年も何もしていなかったという申し訳なさも入り交じっていました^^;
IMG_2082.jpgサイン会
もう少しバタつく性格であればこういう機会ももっと早くあったのかもしれません。ただやはりサガフロ2や当時からいただいてきたファンの皆さんの声や批評は忘れたくても忘れられないものですし、PianoPieces以降、何もお届け出来なかったことを残念に感じ続けていたのは間違いありません。と…自由になったこともありますが、あまりに暖かいコンサートだったことで、そういう間抜けなストイックさがかなり揺り動かされまして、是が非でもまた来たいと思わせていただきました。本当にありがとうございました。
サイン会もほとんどの方が残ってくださり、本当に感謝の極みです。写真撮影も検討していたのですが、ホールの利用時間の関係などいろいろあってできずにすみません。皆さんのおかげで本当に素晴らしい時間を過ごすことができました。

またスタッフの方にもこの場を借りてお礼申し上げます。千里ヤマハのスタッフの方々、亜樹さんの教え子の方や東京スクエニの方にもお手伝いいただき、大きな滞りも無く無事に最後まで進めさせていただきました。そして本当に情熱的な演奏をしてくださった亜樹さん、本当にありがとうございました!

IMG_0585.jpg北急社内からの夕焼け帰路、北急から見る夕焼けは格別でした。新御堂の近未来的な独特の雰囲気は子どもの頃から大好きで、自分は関西人やなぁと思わされました。子どもの頃に受けた影響…それは音楽でも映像でも非常に大きなもので、上京してからの方が長くなってしまいましたが、もうこれはひっぺがしようがないですね。ホントにこんなに里心がくすぐられるとは…。また参ります。その夜は「大同門」で食事。キャンペーンで「焼き肉のたれ」をもらいました♪

その3につづく

ピアコレコンサート回想1

2010.9.28

興奮が冷めてしまってからの更新で申し訳ありません。新宿、千里、横浜、それぞれ違ってそれぞれびっくりするほど素晴らしいイベント、コンサートになって本当に感激しております。一度や二度のコンサートで大仰に書くのはどうかと思われるかもしれませんが、こうやって人前に立つのは自分としてもとても珍しいことでしたし、特に千里、横浜では10年来の方が大半だったので、10数年分のことを回顧することも含めて書き留めようと長考しておりましたらもう9月末…失礼しました。そしてあのあとにもらったファンメールの山…!ふらつき気味であった目標を支えてもらった気がします。またまとめてお返事したいと思います。

IMG_0496.jpg8/28 新宿アイランドホール

昨年は全く病気をしなかったのに、今年は夏に二度も胃腸炎を起こしてしまい、イベントの前々日から高熱にうなされていました。しかし気合いを入れて療養したのが効いたのか、当日の朝はスッキリ。熱を出すといつも長引いていたのですが、治るもんだなと喜んでおりました。そしてフラフラと新宿へ。一時間、一本きりのイベントに、しっかりとしたステージとたくさんのスタッフ…サントラは何も無かったのが、ピアコレでここまで出来たのは黒田さんのプッシュのおかげであり、動くべきだなぁと思わされたものでした。

お客さんは二千名以上もの中から抽選で選ばれた方で、それもペアなどではなく一人ずつ…どんな感じの雰囲気になるのか、我々もなかなか予想できませんでした。またかなりデッドな空間であったためPAをしっかり挟んでもらいましたが、演奏への影響はどうなるのか、未知数なことばかり。
しかし開場からあっという間に会場の雰囲気は出来上がっていき、お客さんの熱に誘導してもらうかのように、出演者も裏方もすいすいと流れに乗ってやっていくことができました。
新宿、千里、横浜のいずれも運営の中心はクラシック系の方々だったのですが、皆さん「こんな世界があったのか!?」としきりに驚いておられ、ゲーム音楽の世界がいかに大きなものかを私も改めて感じさせられました。
アニメや映画の音楽はクラシック系の人でも時々扱うものですが、ゲームというのはまだまだ認知されていないという実感があります。また逆に、例えばピアノの世界(例えば教育組織)も我々ゲーム音楽に携わる人間からは想像を絶するほどの大きさであるわけで、この両方の世界を知っている黒田さんなんかから見ると、同じピアノでこの境界線こそ大きなものではないかと思います。ピアコレをカジュアルなコンクールの題材にしたらかなりの相乗効果になるのでは…というようなことを、仰っていました。
また一方でゲーム音楽というのはあくまで媒体の種類であってジャンルではない…ということを冷静に考えていくことで、ゲーム音楽はもっとそういった可能性を持っていくのではないかと思っています。他の媒体と比べて歴史は浅く、音源の環境もずっと制限がありましたし、開発との接点が大きいので作曲以外の作業も多いですが、知らない人はそんな状況は知りませんから、あまりカテゴライズしすぎるのも何かと問題はありそうな気がします。
クラシックでもロックでも結局評価されてきたのは良い楽曲ですから、自分の支持するカテゴリを応援するより個々の真実を捉える方がよっぽど理解が早いようにも思います。「ゲーム音楽を馬鹿にするな!」などと叫ぶより、そこにある良品の理由を得ることができれば、どんな媒体の音楽でも楽しめますし、耳が肥えた人の声はやはり強いものです。そしてやはり作曲家は大原則である「良い曲を書く」ことを忘れないでやっていくべきなのかなと。カテゴリに固執して不毛なナショナリズム合戦みたいになるより、リスナーの耳がどんどん肥えていく状況を作る義務を我々は背負わなければならない気がしています。

IMG_0525.jpgいきなり話が逸れましたが、あっと言う間の一時間、とてもリラックスして楽しく過ごすことができました。短い時間だったのにもかかわらず、皆さん遠路お越し頂きましてありがとうございました!握手会でもたくさん声をかけていただき、励みになりました。いやあよかった…と思ったのも束の間。イベント終了後、会場入り口で10分程度の軽い打ち上げがあったのですが、ここで胃腸炎の影響か、あるいは緊張がほぐれたためか急に胃がキリキリと…。乾杯の音頭をとらせていただき、ビールを一口飲んで、記念撮影をし、楽屋の椅子に倒れ…という時間もなく、こいそいそと帰路につき、翌日千里に備えておりました。

その2に続く

黒田亜樹さんのブログでもピアコレレポートが見られます!

ファンメールへのお返事

2010.8.4

大変長らくお待たせしました(こればっか^^;)。
MONOMUSIKサイトがスタートしてから3ヶ月が経ちまして、その間たくさんの応援メッセージをいただきました。本当にありがとうございます。
メールでの返信は難しいので、この場を借りて出来る限りお返事したいと思います。
書こう書こうと思っているうちにどんどん溜まってきて…本当にお待たせしてみません^^;

Iさん
これまで4通も熱い内容をお送りいただきました。いつもありがとうございます。
FFXIIIの音楽目当てでPS3購入…とても嬉しいです。
はい、もちろんゲームは特に好きでしたので離れるつもりはありません。またそれ以外のフィールドでも、やっていければと思っていますが、自分がやりたかったことをゆっくり具現化していきたいという意欲もあります。
「一聴してその人の曲と判る」というのは、大切にしたいですね。そういう濃さがある作曲家は私も尊敬しますし、これからもしっかり磨いていきたいと思います。
PLUSの楽曲分析もありがとうございました。
私の中でも把握しきれてないのではっきり公で言ったことはないのですが、テイクを分解しないとわからないかもしれないくらいにモチーフをあちこちにちりばめる…というのをやっています。これをすることで、ジャンルも編成もバラバラでも気づかないうちにシナリオに芯が通る感覚に…という目論みです。
MONOMUSIKの由来ですが、これはドイツ語を使った造語です。最初は「MONO」は別の言語の単語を当てていたのですが、どうしても整合性がとれないところがあって「唯一の」というドイツ語の意味と解釈しました。それに同じくドイツ語で「音楽」という意味の「MUSIK」をつなげました。

Aさん
こちらも本当に熱いメールをありがとうございました。
最近少しばかり露出が増えていたので、自分の人間性がそろそろバレてきてるころかとも思います^^;
ご質問の件ですが、私の立場からはなんとも言えませんが、あまり問題になったということは聞いたことがありません。
サイトも拝見しましたが、作品も本当にすばらしいと思いました!

Xさん
異国の地から…こちらこそありがとうございました。
私のスコア「SF2」からピアノを始められ、ピアノに支えられてこられたとのこと。
自分の音楽がそうやって一人の新たな音楽の世界につながると考えると嬉しいと同時に大きな責任も感じます。
これからもきちんとしたものを作って行かなければならないですね。
「Vielen Dank」のスコアの販売、配信等について、他の方からもたくさんご質問いただきましたが、…ちょっと難しいようです^^;
ただピアノCDだけ出て、スコアが無いのはやはりヘンだと思いますので、いつかなんとか形にしたいと思います。

Yさん
東大大学院入試中にサガフロ2が頭の中で流れ続け…邪魔にならなかったでしょうか^^
私は寺田寅彦が好きなんですが、以前にもこういうのをスクエニのブログで引用したことがあります。
「自然の森羅万象がただ四個の座標の幾何学にせんじつめられるということはあまりに堪え難いさびしさであると嘆じる詩人があるかもしれない。しかしこれは明らかに誤解である。相対性理論がどこまで徹底しても、やっぱり花は笑い、鳥は歌うことをやめない。もしこの人と同じように考えるならば、ただ一人の全能の神が宇宙を支配しているという考えもいかにさびしく荒涼なものであろう。」
(岩波文庫 寺田寅彦随筆集第二巻「相対性原理側面観」より)

私はあるときから音楽は全て物理的に解明できてしまう気がしたのですが、それを言うとガッカリする人がいるんじゃないかと口を噤みがちでした。
が、これを読んで「おお!」と。自分が言いたかったことで、少々小躍り…はしてないですが、する気持ちに(笑)。
最近作曲家の平野義久さんとインド料理屋とルノアールで二人きりで5時間ぶっつづけで盛り上がっていたのですが、そこでも似たような話をしていました。
結局そうであったとしても人間は美しい音楽を産み出す、すごいことじゃないか、と。
そう考える方が、根性論で作曲するよりよほどロマンチックだと思うのです^^
また「自分らしい音楽」というのは自分の好きな音楽に正直に向き合うことで形成されていくと思います。
他人に流されない自己流と言っても、音楽のない世界で生きているわけではないですし、自分の好みの対象をどんどん取り込んでいくことは、それこそ自分そのもので、そこから産み出される音楽は唯一無二なんじゃないかと。
そういうこともあって、仰るように「誰も触れたことの無い新しさ」と「懐かしさや安心感」が共存する…というところにつながって行くと思います。
すみません、この繋がりについてもう少し語れればいいのですが、長くなりそうで…^^;

他にもたくさんのメールをいただきました。重ねてお礼申し上げます。大変申し訳ないですが、だんだん内容が被っていくなどありまして、まとめてお返事したいと思います!

娘が喜ぶような楽しい曲、了解いたしました。ざぶとん10枚、ありがとうございます(笑)。
XIIIの曲の細かい感想を送ってくれた方もおられました。お気に入りが私のお気に入りにたくさん被っていて嬉しかったです!
卒業作品に…という方も二人ほどいらっしゃったのですが、ちょっと状況的に難しかったです。申し訳ありません…!
メールフォームが全然ダメダメだったとたくさんの報告もありがとうございました^^;現在はEメールのみになっていますが、そのうちなんとかフォームを作りたいと思います。
サガフロ2からのファンという方が多いですね。世界観にも恵まれていましたし、自分の色々な状況もあって…なんと言いますか、妥協する部分が本当に少なかったと思います。当時からのファンの方のメッセージを読ませていただくと、悪い意味で大人にならないよう改めて気をつけたいなと、いつも思わせていただきます。
チョコダンの頃からのファンの方も何名か。もう13年…!期待に応え続けられるようにがんばりたいと思います。
体調を気遣うメールもたくさんいただきました。そんなところまで…感激です。
国内であればどこでも…ということで、コンサート決定しました!
私の曲で元気になれる方、音楽を始めた方もたくさんいらっしゃるんですね。受験の支えになったなんて方もちらほら…。恐れ多いです^^;精進いたします。
他にも色々と自分のやりたかった音楽を発表する場を作りたいと思っています。
近況は…まだ充実というか、手探りですね。やることはたくさんあるんですが、なかなか…^^;
Minaとは色々計画しています。たぶんゲリラ的にやっていく感じかなぁと。長く続けて行ければと思っています。
ビサイド、ガプラ、ハングドエッジ、異跡、ビルジ、テージンにやられたとのこと…ストライクです!襲撃3、機会があれば必ず。
同業者の方からもありがとうございます。またまた恐縮です。ビサイド島をバリバリ弾くところまで…暴力的な譜面なのに嬉しいです^^そのうちご一緒することもあるでしょうか。
閃光の逆再生…面白そうですね。この曲ではどうかはまだ判らないですが、論理的には逆再生はいい効果があってもおかしくない気がします。
第二のVielenDank…、ハイ最近考えていました。これまでは「〆やRec環境による難易度の上限」や「人気曲からのアレンジということでの整合性の優先」なんかを考えなければならなかったですが、そういうものにとらわれない強烈で繊細なものをやりないなぁと。もちろん過去作の中からそれに合うものがあれば抜き出してリアレンジしてもいいと思います。真っ黒な譜面を書きたいですね。
シグマや武蔵2は私もかなり気に入っています。一曲に対する制作時間が十二分にとれたので、クオリティは過去作の中でも随一だと思います。それと山崎、鈴木の両名には本当に助けられました。今後も一緒にいろいろやると思います。
28日のコンサートのリクエストですが、XIIIからのみになりますので…ごめんなさい。実現可能か判りませんが、将来色々なんとか…^^
トークは絶対苦手です。どうも分裂なんとかっぽくて、大学時代の最後のステージで歌ってる最中に客観視する自分が横にいるような感覚に…。XIIIの制作発表会のときもガチガチでしたしアカンです…。
日々の家事にもお役に立てて嬉しいです。九州でもコンサートしたいですが…いつか必ず。

皆さん、本当にありがとうございました!
ひとつひとつなかなかお返事できないのですが、メールフォルダを作って滅茶苦茶しっかり読んでいますので、またメッセージをお寄せください!

SF2復刻

2010.7.16

大変長らくお待たせいたしました。SF2の復刻版が7月21日に発売されます。

復刻ではありますが、微妙に違うところがあります。ピアコレのミラノレコーディングで隙を見て黒田さんがさらっと「"β" 1」を、クロアキバージョンとして弾いてくださいまして、それをボーナストラックとして入れました。

またジャケが違う!…というのは、発売会社が変わってデータの復刻が難しかったなどありまして、至極シンプルになりました(笑)。

ラフなスコアつきですが、これは販売当初と全く同じ譜面ではあるものの、いくらか演奏内容と違うところがあったりします。より本来に近い状態…となると、やはりドレミ出版のスコアになってしまいます。

スコア再販の要望もたくさんいただいていて、私もなんとかならないか色々話したりもしているのですが、今のところなかなか難しいみたいですね…。「Vielen Dank」もスコアがどこにも無いってのは、ピアノ曲集としてはヘンな話ではあります。これも要望をよく受けていて相談させてもらったりしているのですが、今のところ無償配布くらいしか手がない感じです。それでもいいので、いつかやりたいという気持ちは強いです。

さて「SF2」についてずっと言う機会が無かったことなどを。

まず最初に一番気になっていたことから。「"+4" 1」の展開部(D,CB♭、C,DE♭、F,E♭D♭の旋律)の左手の最初の音です。ゲームの原曲はFではなくG♭の音だったのですが、これをSF2では何故かFにしてしまっていました。F2→F3と同じ「F」で続けてしまったことのなんと愚かしいことか…。せっかくの混沌に水を差してしまったなぁと後悔したものでした。演奏者の原大介氏にRec後に言って、「やっぱりー?なんで変えたんかなーって思ってましたー」なんて話してたのを思い出します。皆さん、演奏されるときは是非「G♭」でも試してみてください。

SF2のスコアは五線ノート2冊に書いていました。ピアノ小品集なるものを書いたのは初めてだったので
手元において感慨にひたって…いたのも束の間、ひどいことにその後何年もマウスパッドに使っていました。マウスパッドくらい買ってこいやと思うんですが、もの凄く無精なんですね。

某大学の寮の練習室に後輩で演奏者の鴉田と一緒に忍び込んで練習したのもいい想い出です。そうだ今度、大学時代の寮の話なんかも。

Recは妙なこだわりをしてしまって、編集一切ナシです。連弾などは演奏者がヒーコラ言っていました。

オケは…まぁ大変でした。ミックスでも二転三転。でもこういう無茶はやり続けなければつまらないですね。

最後にお気に入りベスト3を。

"α" 1
"β" 2
"+4" 1

…お気に入りというより、「まとまったもの」という感じです。「"β" 1」や「"γ" 2」、「"γ+" 1」も好きだったのですが、完璧…とはいかなかったので「Vielen Dank」で改めて完成させました。しかし曲名をαとかβとか記号にしてしまったために、自分でもどれがどの曲か全然解らないですね…。確かに意図はありましたがこれは挑戦的というのか^^;

PfRec3

2010.6.20

IMGP2237.JPGIMGP2848.JPG
ととと、随想でなくてもこうなるか…。書かないなぁ日記。
スタッフルームがあって助かった^^;
いや、申し訳ありません。
6月はたくさんの人に会っていて、何か妙にバタバタしています。

さて、FFXIIIピアコレのディザーサイトがオープンしました。
monomusikも連携してサイトで色々コンテンツをやっていこうと思います。
とりあえずミラノRec日記のPart3を!

18日は午前から3曲を収録し、その後は編集作業に当てるスケジュール。
前日は5曲録りだったので、これで合わせて8曲の収録が完了です。
この日初めて編集でまとまった一曲というものを聴いたのですが、
手応えばっちりで、3日間で完了する見通しがつきました。
途中休憩の合間、亜樹さんの勧めでウチの長女も短い曲をひとつ収録。
下手だけど…元の曲がいいと本当にいいんだなと。

19日は収録最終日です。
残りの2曲を収録した後、2時間ほどしっかり休憩をしてから、一気に編集に入りました。
最後に録った曲はスローなのでなんとか…と思いましたが、
やはり亜樹さんは悲鳴をあげておられました。
しかしこれまた最高のテイクが録れ、気持ちよく昼休みに。
編集も一曲時間がかかったものの、滞りなく進み最後は流してチェック。
亜樹さん、杉山さん、福島さんの感想からも、
かなりの手応えを感じさせていただきました。
もの静かなミケーレさんも最後まで笑顔^^
そして最後に少しだけ時間をもらって、昔手がけたピアノ曲集の中から一曲、
亜樹さんに演奏してもらい、それも音源化してもらいました。
どこかで公開できる機会があるかもです!

…細かいレポートはStaff Roomに任せましょう^^;

PfRec2

2010.5.27

5_27.jpg ミラノRecを終了し、無事帰国しました。現地でダイアリーを何回か更新したかったのですが、ネット環境がよくなくてメールチェックばかりでした^^;

 ミラノ二日目の16日は午前から地元のオケのコンサートに行ってきました。黒田さんの旦那さんの作曲家・指揮者の杉山洋一さんが知り合いのチェリストにチケットの手配を頼んでくれたのですが、よく解らないままLaVerdiというホールに行くと…なんとど真ん中の招待券!と、前半はちょくちょく実演を挟みながらコンダクターがずっと解説。…何言うてるかわかれへん(汗)。後半は全曲。プロコフィエフのオーケストレーションに今更驚き、感動させてもらいました。夕方は黒田さんが我々の宿泊するホテルの小さな食堂にあるピアノを使ってちびっこコンサートを催してくれました。黒田さんの小学校一年生になる息子さんと、教え子の小さな女の子、そしてウチの長女の3人。お客も5人だけ。みんな「どれ弾こっかな…じゃあこれで」みたいなノリで、可愛かったです^^趣味程度でしかやってない長女も気楽にやれました。十分ほどのコンサートのあとは、そのままそのピアノを使って黒田さんの翌日以降のピアノの打ち合わせ。長旅で疲れ、夜はグッタリ。

 17日はRec初日。ミラノ市内にあるLIMENスタジオというところです。黒田さんの自宅近くで待ち合わせ、トラムで国鉄の Milano S.Cristoforo 駅へ移動。そこから二駅先の Milano Porta Romana 駅で下車し、10分ほど歩いたところにありました。スタジオは映像も同時に撮影できるシステムがあり、コンソールルームには7台の液晶モニタが!ピアノはSteinwayのフルコンで、音が強烈によかった…。オンなのに奥行きがあり、またピアノもいい具合に弾き込まれていて、馴染むまでに時間がかかるということもなし。激しい曲でも強い高音でも滅茶苦茶気持ちいい!エンジニアはMichele Forzani(ミケーレ・フォルツァーニ)さんという方なのですが、スタジオの所有者でもあり調律まで行う実力者で、本当につるつる収録が進みました。またコンソールルーム担当の通訳に、黒田さんのご友人のテナー歌手である福島康晴さんにご協力いただきました。福島さんは作曲科出身で、私とは逆の履歴ですが、お互いの領域を知っているからか、何かと話が早くて大助かりでした。そしてやはり黒田さんの演奏力と解釈。どの和声、どのグルーヴが、どのように大事か完璧に把握してくれるので、安心しきりの収録でした。こんな凶悪な譜面は黒田さんじゃないと…。この日、半数収録完了!長いので続きます。

PfRec

2010.5.21

5_g.jpgイタリア在住のピアニストの黒田さんと通訳でお手伝いいただいたテナー歌手の福島さん 変圧器の調子やネット環境が悪くてなかなか更新できませんでした^^;とにかく最高の収録ができました!今夜、あたふたと帰国です。とりあえず写真だけUP!

5_d.jpg
コンソールルーム
手前は調律師兼エンジニアのフォルツァーニさん
スタジオ内の様子を同時に映し出す液晶モニタが7台も

到着

2010.5.16

5_15.jpgホテルすぐそばにある2番トラムの終着駅。マニア垂涎の旧型車両らしいです! 無事ミラノに到着しました。最後の譜面が出来たのが日本時間15日の夜中の3時!それから参考のデモをmp3にして先方に送信、全ての譜面をエンジニア用に印刷し、荷物の準備をして…1時間ほど寝てから出てきました。眠いし、お腹は空くし、電車は止まるしで、成田まででもうクタクタでした。そこから13時間飛んで…ようやくミラノ到着です。

 ミラノで待ってくれていたのは…ピアニストの黒田亜樹さん。今回のレコーディングの主役です!我々スタッフをホテルに案内してくださり、そこから歩いて15分くらいのところにある黒田さんのご自宅へお邪魔し、夕食をご馳走になりました。軽くだけ打ち合わせて、ホテルに戻り爆睡。今は現地時間で16日の朝の8時です。今日はコンサートや打ち合わせなどを予定しています。

連休

2010.5.11

 このほどAndré Mackowiak氏によるBeauty of Gamesという新しいサイトが立ち上がり、最初のゲストとしてインタビューに答えさせていただきました。英語のサイトですが、かなりがっつり答えていますので、是非ご覧ください^^

LinkIconhttp://beautyofgames.com/

 さて、連休はずっとピアノアレンジをやっていました。これまでピアノスコアは何度かやっていますが、難易度と実際の演奏のバランスについて非常に気を遣うものなので、毎度神経をすり減らします。難易度の高いものから終わらせてるので、なんとか間に合うかと思いましたが、低いものは低いもので演奏でまとまるかどうかの検証も必要で大変です。が、最強のピアニストが演奏してくれるので安心しております^^

 またたくさんの応援メールをいただいております。いつもありがとうございます。と、何名かの方からメッセージフォームから送信できないとのご報告をいただいておりまして、大変ご迷惑をおかけしています。検証いたしますので、送信できない方はmail<at>monomusik.comの方へお願いします。

ファンメール

2010.5.7

hope1.jpgサイトオープンから一週間になりますが、何通かファンメールをいただきました。第一号はフランスの方からでした。どれもとても熱い内容で、本当にありがとうございます。皆さんの応援を励みにがんばります!

プロフィールのページに、fan mail formをスタッフが作ってくれましたので、そちらもどうぞ。

←次女曰く「おとうさんをえんごしてるホープ」

Sibelius

2010.5.1

 再来週末、とあるレコーディングでミラノに一週間行って参ります。ミラノは…十何年ぶりかな…?社員旅行で行った以来です。当時入社したてで、自部署からは自分と仲野さんだけ。ヴェネチアにもまわったのですが、あれは男ばかりで行くところではないですね。男同士でゴンドラに乗ってもしゃあないですもんね~と、滞在二日目にはもう昼間っから二人してホテルで昼寝してました。懐かしいです。

 ミラノに持って行く譜面は慣れたデジパのクイックスクライブエディターでなんとかするか、手書きにするか、シベリウスに挑戦するか…と悩んでいましたが、初めて使うにもかかわらずシベリウスが断然早い…!シベリウスを絶賛する人が多いのですが、納得です。これでピアノ譜面など、たくさん作りたいですね。

インタビュー

2010.4.28

 今日はインタビューでスクウェア・エニックスに行ってきました。3社分まとめてで、昼過ぎから休憩を挟みつつ20時前まで。そのあとは山崎良氏と一杯(でも夜ピアノやんなきゃなのでウーロン茶)。退職してからも何かしら用件があって月何回かスクエニ行っていて、元同僚とも会う機会が多いので、長期休暇中に顔を出しているくらいのノリです。

 しかしインタビューは…やはり苦手なのかなぁ。調子いいときもあるのですが、ハマるとダメです。今日は2社目でハマり、なかなか制作時の記憶を引っ張りだせず時間をかけてしまいました(すみませんでした^^;)。3社目では急に頭が回転し、言葉もたくさんでてきたのですが、あれは一体なんなんでしょう。制作に集中したあとは結構飛んでしまうのか、「実はあのときこういったことことがありまして…あ、これ違うわ」と中川家剛みたいになることも。で、そうやって記憶を整理した次のインタビューでは、かなりまとまっているという具合です。

 さてピアノやんなきゃヤバいので、眠くなるまで頑張ります。

Official Website 開設

2010.4.27

 個人サイト、ようやく完成です(簡易な方法で…^^)。細かい仕事がいくつかあって、その合間をぬってようやく暫定的ながらオープンすることが出来ました。Diaryはブログを貼りつけようかと思ったのですが、とりあえずhtmlで古風にやってみることに。

 先日マスタリングスタジオ「Orange」でFINAL FANTASY Original Soundtrack -PLUS-のマスタリングをしてきました。これは…かなり挑戦的な企画だなと、終わってからかなり色んな汗をかきました。今月上旬には事務所近辺で撮影もしましたが、ジャケ周りやサイトについてのやりとりも続いていて、結構大仕事になりました。別件のピアノも集中しなければならないのに大丈夫かな…。でもしばらくぶりに燃えています。

LinkIconFINAL FANTASY Original Soundtrack -PLUS-